個人的文章術的備忘録

・読点の位置と漢字のくずし方で、文章の印象/読みやすさが格段と変わる。

・手書きの文章と、パソコンでタイプした文章では、全く文体が変わってしまう。

・文章は書いた瞬間に酔ってしまう。酔いが覚めるまで、寝かしておいたほうが良い。

・「読みやすい」「分かりやすい」が正義とは限らない。

・文章は、ある程度の論理的飛躍があったほうが、面白くなることが多い。

Facebookで、極論を書いたら炎上する。その点、GREEは平和だ。

・炎上しないレベルで、極論を書けるのは才能。羨ましい。

・「は」と「が」の使い分けは結構難しい。あえて、どちらも使わないのも選択肢の一つ。

 

随時追加予定。

なかなか走り出せない人が読むべき2冊+1スレ

 

比喩的な意味じゃなくて、純粋に「走る」という意味で。ジョギング、ランニング。

 

精神的にきついことがあったときには、とにかく走るのが僕の習慣。

走った後の、脳内がリセットされて気分が晴れる快感はたまらないし、癒しでもある。まさに脳内麻薬。なかなか変態的なのは認めるが、決して「ヘンタイ!」のほうの意味ではない。

 

と言いつつも、追い込まれているときは走るのも面倒なことのほうが多い。そう、なかなか走り出せない。

そのときは、以下の2冊+1スレのどれかを読めば自動的に走り出す。走り出せばこっちのもの。

 

 1,脳を鍛えるには運動しかない

脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方

脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方

邦題が安っぽいけれど目をつぶろう。いわば運動(主にランニングなどの有酸素運動)の効能書き。運動をしたら脳内がどのように変化していくかをみっちり書いている。様々な臨床結果もウザイくらい載せている。僕のような理屈っぽい人間でも納得せざるを得ないくらいのウザさだ。分厚い。途中で「分かったよ、走りゃいいんだろ」となって本を放り投げて、走り始めてしまう。

 

 

2,走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

年に一度はフルマラソンに出場するという、走る小説家・村上春樹。彼の書いた、走ることについてのエッセイ集。しかし、彼は全く走ることを勧めていない。むしろ、健康オタク的に「走る」ことを勧めるのはかっこ悪いと思っているようだ。でも、読み終えたら「やれやれ。走るか」というふうにさせてしまうのが春樹クオリティ。

 

 

3,ジョギング始めたら何もかも捗りすぎwwwwwwww(クリックでサイトに移動) 

ランニングし始めたニートのビフォーアフター。変わりすぎて笑える。一番気軽に読める。

 

 

走る。音楽。修業。

走ることは精神修行。強くなる。

だから、辛い時こそ、僕は走る。

 

走るのに音楽は欠かせない。音楽だけで修行も面白くなる。

 

 

「ロッキーのテーマ」は、映画の主人公気分。

リンダリンダ」は、そりゃもう青春。

「ultra soul」は、疾走感がたまらない。

 

 

そして、極めつけは「さんぽ」。

これを聞いて走り続けることが出来たら、間違い無く精神は鍛えられる。

 

歩こう♪歩こう~♪(略 歩くの大好き~♪

 

走ることは精神修行。強くなる。

 

僕は日々鍛えられている。

 

猪瀬直樹新都知事が「言葉の力」で東京五輪招致を成功させる。

猪瀬直樹新都知事は、書斎が本で埋まってしまっているほど、勉強の虫であり、読書家である。自身による著書も多い。発言の随所に教養があふれている方で、ひとつひとつの言葉の重みが違う。さすが「言葉の力」なんていう本を出しているだけある。

そんな知事が、東京五輪招致に向けて、ツイッターを利用して英語で情報を発信していくらしい。情報化・グローバル化社会を見据えた、素晴らしい慧眼ではないか。これは期待せざるを得ない。

きっと、レベルの高い英語を駆使して、その誇るべき「言葉の力」を発揮してくださるのだろう。五輪招致が現実に見えてくる。

でも、もしかしたら、僕の英語力では太刀打ち出来ない、読解不可能な領域で、その「言葉の力」を感じることさえもできないかもしれない。そのときは素直にグーグル様に頼ってしまおう。無知は恥じることではない。

 

そんなことを思いながら、覚悟して、知事のツイッターを開いてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

猪瀬直樹 ‏@inosenaoki
I love sports. I play tennis and run every day!

 

いろんな意味で勇気を貰った。

 

 

 

 

猪瀬知事、弄ってごめんなさいm(_ _)m 知事の行動力には頭が下がります。ぜひとも翻訳監修をつけて、これからもつぶやいてください。五輪招致、期待しています!

東村山市恩多町にある「仁寺洞」という韓国料理店が本物すぎる

今日は東村山市恩多町にある「インサドン」という韓国料理店に冷やかし半分で行ってきました。ここ→http://tabelog.com/tokyo/A1328/A132806/13010120/

 

どーせ日本人が勘違いして作ったツッコミどころの多い韓国料理なんだろ、あとでブログでおちょくってやるぜ!なんていう、とっても斜めに構えた心で行ったのですが、なんかもう本当にごめんなさいっていうレベルで本物すぎる韓国料理でした。

てかまず、料理作っているアジュンマ(おばさん)が韓国人じゃないか。なんかもう自分のほうが甚だしい勘違いをしていたというオチorz

 

頼んだのはキムチチゲ定食で、写真のような感じです。食べた瞬間に熱い&唐辛子で咳き込んでしまう、まさにあのキムチチゲで、パンチャン(おかず)に場違いに見えるブロッコリーがあるのもいかにも韓国らしい。味付けはケチャップとマヨネーズを混ぜたアレ。ケヨネーズって言うんだっけ?

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まあとにかく、箸が、割り箸だったこと以外は完璧な韓国料理でした。新大久保で本場の韓国料理を食べたつもりになっている輩に食べさせてあげたいですね。

 

郊外にあるので滅多に足を運ぶことはないでしょうけど、近くに寄ったらぜひ行ってみてください。モスバーガーのフランクフルトの次くらいに推します。

 

あ。ここだからね!ここ!→http://tabelog.com/tokyo/A1328/A132806/13010120/

Facebookの広告を見てグーグルはやっぱり格が違うと確信した。

あまり気づかれていないようですが、Facebookのタイムラインには「広告」がさりげない形で挿入されています。こんな感じ↓

 

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「広告」という文字が小さく薄い文字で書かれているので、ぱっと見ただけでは、広告だとは気づきにくいんでしょう。知り合いが広告にまでいいね!を押しているとちょっと残念な気持ちになってしまいますね。

 

Facebookに限らず、ネット上の広告は基本的にこれぞ資本主義や!という感じの利益優先なガツガツした広告が多いです(ヤフーなどの大手ポータルサイトのトップページ広告は例外)。ネットだとクリック単価、成約率などが正確に測れるので費用対効果がハッキリと分かります。だから、広告を出している担当者も首を切られないように必死なのでしょう。

特にFacebookは、掲載費用が高騰しているせいか、広告審査が甘いせいかは分かりませんが、そのガツガツした広告が多いようです。タイムラインにまで広告を掲載できるようにするのを見ても、Facebookは「ユーザー目線」じゃなくて「資本者目線」ってのを感じますね。

 

そんなザ・資本主義Facebookワールドの中で異彩を放っていたのが、グーグル神。タイムラインにこんな広告を出していました↓

 

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なんかもう政治活動しているし!(笑)もちろん、ネットがオープンになることはグーグルにとっても好ましいことなのでしょうが、お金を掛けてまで、こんな主張をしているわけですよ。絶対にこんな広告じゃ費用対効果なんて計れませんし、並の企業じゃこんな主張のためにお金を掛けて広告を出したら、担当者の首は大気圏を越えて三途の川まで吹っ飛んでしまうでしょう。

グーグルの有名な経営哲学に「邪悪になるな(don't be evil)」というのがありますが、まさにこの広告で、資本主義世界に跋扈する「邪悪な」者達に、カネというのはこうやって正義の為に使うんだよ!、と言わんばかりです。

 

近頃はグーグル神が邪悪になっていくとか、すでに落ち目に差し掛かっているなどという批判も多いですが、この広告を見た限り、神はまだ死んでいません。少なくとも「並の企業」とは言えない、とってもユニークで、哲学のある企業だと思いますね。格が違います。

 

僕はグーグルのやっている全てのことには同意しかねますが、この自分たちの哲学を強く持つ姿勢を支持したいと思います。

朴鍾佑のメダルが剥奪されなくて、オリンピックもテキトーだなあと思った件。

(前略)


朴は2─0で勝利した日本との3位決定戦終了後、ファンから手渡された「独島は我が領土」と書かれたボードを掲げて物議を醸した。


同選手は表彰式を欠席したが、国際オリンピック委員会(IOC)から銅メダル証明書が届いたという。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121204-00000034-reut-spo

あら。メダル剥奪されなかったんですねえ。

これ、「韓国人がー」とかはどうでもいいんですが、オリンピックで政治的主張をした選手がメダル貰えてしまったことが問題ですね。

 

オリンピック憲章(http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2011.pdf)によれば、

 

2.1 個々の競技者およびチーム関係: 

一時的または永久にオリンピック競技大会に欠格とすることあるいは除外すること、また失格または資格認定の取消し。失格または除外の場合、オリンピック憲章違反に関係して獲得したメダルや賞状はIOCに返還されるものとする。(略)

とあります。もちろん政治的活動は

3. オリンピック開催場所、会場、他のオリンピック・エリアにおいては、いかなる種類の示威行動または、政治的、宗教的、人種的な宣伝活動も認められない。 

と禁止されていますので、このルールが厳密に適用されるとしたら、メダルを返還するしかないわけです。

まあでも、だからと言って、すぐにメダル剥奪だ!うぎゃー!!というのも早計でして、ルールってのは慣習や解釈によって適用のされ方が違います。

 

慣習を知るためには、過去の事例を見るのが手っ取り早いです。

実際にオリンピックであからさまに政治的主張をした選手というのは、調べた限りふたりしかいません。

それだけ「政治的活動はタブー」というオリンピックの精神は慣習的に守られてきたということでしょう。そして、そのふたりの政治的主張をした選手(どちらも人種差別に反対した選手)はオリンピック村から追放され、メダルも剥奪されています。

(詳しいことはWikipediaのブラックパワー・サリュートで)

つまり、慣習的にも政治的主張はタブーで、それをした選手はメダルを返還しなくてはいけないということです。

 

そう考えると、朴鍾佑のメダルが剥奪されないのは理解できません。

考えられるとしたら

・慣習が変わった

・朴鍾佑の行動は政治的主張とは解釈されない

ということでしょう。

 自分としてはどちらもあり得ないのですが、もしそうだとしたら、IOC(オリンピック委員会)がその説明をするのが道理じゃないですか。おそらくは韓国側から圧力がかかって、事なかれ主義で、うやむやにしようという魂胆なんでしょうけど。

 

こういうのを見てるとオリンピックってのは結構テキトーに運用されているのかもなと思えてきて哀しくなってきます。

 
あと、この騒動に乗じて、2ちゃんねるやらヤフコメやらその他もろもろで韓国に対するネガティブキャンペーンをする輩がいますが、それもそれで、政治的主張で、オリンピック精神とはかけ離れている行動ですよ。恥ずかしいから慎んでやめて頂きたいものです。
 
そして、自分は韓国語が読めるので、韓国の主要サイトも見たりするのですが、皆こぞってメダルはもらうべきだと言ってますね。竹島は韓国の領土だというのは当たり前なんだから、それを主張したことがなぜ悪い?自分たちの領土を自分たちのものだというのが政治的主張なわけないじゃないか、みたいな論調です。
まあ、韓国人にとっては竹島は韓国の領土なんでしょうけど、国際的に見たら、明らかに竹島領土問題は日本との争点になっているわけじゃないですか。日韓でやる行事ならまだしも、世界的にやるオリンピックでその主張はちょっと無理がある論理ですね。
 
韓国のネチズン韓国人として考えるのではなく、オリンピックを見るものとして考えて主張してほしいものです。
 
とにかく、問題は「韓国人がー」ではなく「オリンピック選手がー」ということですよ。

人生100回分得します。-「つながる読書術」

一日に10冊以上、今までに10万冊以上もの本を読んできたという著者による読書術。ぶっちゃけ言うと、読書術にはあまり興味なくて(失礼!)、巻末にある推薦本100冊のリストが欲しくて購入。

 

10万冊のうちの100冊ですよ。単純計算で1000冊に1冊しか遭遇できないような本が並べられているわけです。

おそらく、生きているうちに1000冊以上の本を読む人は少数派でしょう。そう考えると、人生のうちに一度会えるか、会えないかという本が100冊紹介されているということになります。

だから、このリストだけで、まさに人生を100回分得したような気分になるわけで、もう来世なんていらないやと思えてきますよ、はい。(誇大ステマ注意)

 

推薦本の紹介文もなかなかおもしろくて、少し引用しますと、

利己的な遺伝子リチャード・ドーキンス)」-この本を読んでも「科学はおもしろくない」と思う人は、ロケットに乗せてあげるから大気圏の外へ行ってしまってください。文系の人でも、生物や遺伝子といった理系の世界をおもしろく読める。

とか

「走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)」-これを読んで走り出したくならない人とは友だちになりたくない(笑)。(略)

 という感じ。

 

そして、早速、ここで推薦されていた「蒼穹の昴」という中国清朝末期を題材にした小説を読みました。面白かった! てか、面白すぎて、あと一ヶ月は中国かぶれになっていると思います。

 

あと、冒頭ではあまり読書術には興味なかったと書きましたが、読んでみたらこりゃ面白い!どーせ、本を読むときには批判的に読めとか、主体的に目的を持って読めとか、そういうことが書かれているんだろと思っていたんですけど、そうでもない。

もちろん、そういうことも書かれているんだけれども、あえて受動的に、盲目的に読むススメも書かれている。たとえば、創価学会の信者になったつもりで、池田大作全集を読んでみるとか!読むときは一切批判めいた事は思ってはいけないようです(笑)。ちなみに著者は読んで泣きかけたそうです。

これは僕もいつか実践したいと思います。そんなふうにコーランを読んだり、麻原彰晃の「黙示録大辞典」を読んでみようかなと。

僕が一日に5回礼拝したり、いきなり空中浮遊の練習をし始めたら、暖かい目で見守っていただけると嬉しいです。あ、でも、さすがに人類滅亡を唱え始めるくらいになったら、目を覚まさせてあげてくださいね。

 

他にもユニークで、笑える(←これ重要!)、極端な(←これもっと重要!)読書のヒントが載っていて予想以上に面白かったです。興味ないとか言ってごめんなさい。だてに10万冊読んでいませんね。

 

 とゆわけで、しっかり推薦本を買い漁って、人生100回分得したいと思います。

 

つながる読書術 (講談社現代新書)

つながる読書術 (講談社現代新書)

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)

 

18禁だね、「はじめまして数学1,2,3」。

3部作の最後をまだ手に入れてないけど、まあいいや。

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人生で初めてマイナス×マイナスがプラスになることが腑に落ちて、そして、虚数を心で感じられるようにしてくれた本です。

しかし、それだけに強力で非常に危ない面もある本です。

 

副作用として、

 

・無限を崇拝するようになってしまいます。

・素数に片思いな恋をしてしまいます。

・俺らの身体にはイマジナリーナンバー(虚数)が不可欠なんだぜ!、と、皆にドン引きされるようなことを言うようになります。

 

などなど多数が挙げられます。

 

中学生のころに、こんな本に出会っていたら、誤って、理系の道へと進んでいたでしょう。恐ろしや。

なので、「私の夢は政治家です!」的な文系に志のある中高生は読んではいけません!絶対に!

理系に志のある人も数学にのめり込みすぎて、「!」を「階乗」としか読めなくなる可能性大です。だから、やっぱり読んではいけません!(階乗 絶対に!(階乗

 

ゆえに、結論を申し上げますと、すべての中学生及び高校生は絶対に読んではいけない本ということです。まさに18禁です。

 

 

追記

 

本当は上の文を数式で表そうとしましたが、相当イタい子になることに気づき、やめました。まあそんくらい数学に毒されるような本でございます。くれぐれも良い子のみなさんは読みませんように。

 

はじめまして数学〈1〉自然数を追え、無限を掴まえろ! (幻冬舎文庫)

はじめまして数学〈1〉自然数を追え、無限を掴まえろ! (幻冬舎文庫)

はじめまして数学〈2〉ベクトルをまわせ、ドミノを倒せ! (幻冬舎文庫)

はじめまして数学〈2〉ベクトルをまわせ、ドミノを倒せ! (幻冬舎文庫)

はじめまして数学〈3〉二階建ての数「分数」の世界 (幻冬舎文庫)

はじめまして数学〈3〉二階建ての数「分数」の世界 (幻冬舎文庫)

モスバーガーのフランクフルトを食べたら他のフランクフルトが食べられなくなることについて

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引越しして嬉しかったことが2つあります。

 

一つめは近くにモスバーガーがあるということです。

二つめはそのモスバーガーにフランクフルトが売られているということです。

 

モスバーガーが近くにあるということは日本人共通の喜びだと勝手に認識しておりますので、説明は不要でしょう。

 

しかし、モスバーガーにフランクフルトが売られている喜びはあまり知られていないようです。そのせいで、今ではモスバーガーにフランクフルトが売られている確率は4割程度に落ち込んできています。

 

これは由々しき事態でございますので、この場を借り、モスバーガーのフランクフルトのステマを盛大にさせて頂きたい次第です。

 

それで、このフランクフルトがどれくらいうまいか形容しようと思うのですが、そりゃあもう言葉に表せないくらいうまいんだよ、というベタすぎる表現しか思いつきませんでした。

 

こりゃよくないなということで、言葉がダメなら、数字で解説しようと思います。

 

小学生のとき、このフランクフルトが好きすぎて、一度に2本注文したことがあります。もちろん、ほかのバーガーやジュースは頼まずに、フランクフルト2本のみです。

 

1本190円ですから、2本で380円もするのです。なんだ、たかが380円じゃないか、と思ってはいけません。立ち止まって、冷静に考えてみなければいけません。

 

このときの僕の月給は500円という、ワ○ミ社長にまで同情されてしまいそうな極貧の安月給でした。そうです、500円中の380円、つまり自分の月給の76%を投資してでも、フランクフルトを食べたことになります。

 

もし、この文章を読んでいるあなたが手取り10万円のアルバイトをしていたとして、そのうちの76%になる7万6千円をフランクフルト2本のために費やしたようのものです。

 

お分かり頂けるでしょうか。残りの1ヶ月の生活苦を覚悟してでも、食べたいくらいのフランクフルトということです。それくらいうまいんです。まじうまいんです。

 

と、ここまでない知恵を絞りに絞り、数字を使ってまでもモスバーガーのフランクフルトのうまさを表現してきてみましたが、やはりこれでは限界があります。

 

お釈迦様もおっしゃったとおり、理性だけではものごとはわかりません。経験によって、はじめて本当の意味で「わかる」ということになるのです。

 

皆様も、どうか頭でっかちにならずに、実際に行動に移してください。食べてみてください。

 

そして、冒頭でも書いたとおり、今現在、モスバーガーでフランクフルトを取り扱っている店舗はだんだんと減ってきています。このままでは絶滅の危機に陥ってしまう可能性も否めません。

 

もしかしたら、絶滅危惧種に指定され、捕食禁止となって、ただ眺めているだけの存在になってしまうかもしれません。

 

博物館に飾られ、ショーウィンドウを通してでしか拝めない存在になってしまうかもしれません。それはそれで面白いじゃないかと一瞬思ってしまったのは内緒ですが、そんなことは断じて許されません。

 

 

皆様が少しでも関心を寄せていただけるのなら、このフランクフルトを救うことができます。

 

見て見ぬふりをせずに、モスバーガーに寄ったときは一回、フランクフルトを買って食べてみてください。うまさは保証します(ただし、できたてに限る)

 

人気メニューになれば、きっと、このフランクフルトが絶滅することはないでしょう。皆様、レッツ☆フランクフルト!

 

 

情熱と使命感に駆られ、モスバーガーでパソコンを開き、勢いのまま文章を書いてしまいました。

 

朝っぱらからどんだけ暇なんだよ、このモスバーガーの犬め!などと批判されるのではないかとか、もしかしたら、誰にもいいね!も押されずに華麗にスルーされてしまうんじゃないかという、これまでに経験したこともない恐怖感が押し寄せてきたりします。

 

しかし、僕は勇気を振り絞り、良心の声に従ってこの文章を残したいと思います。

 

ありがとうございました。