あなたも疑似科学やスピリチュアルで人を騙しているかもしれない

友達と井の頭公園のベンチでダベっていたところ、マスクをかけた若い男が話しかけてきた。痛いところを「気の力」で治してくれるそうだ。ノリで施術を受けてみたが、効果はよくわからなかった。

話を聞いてみると、どうやら仏教系の新興宗教らしく、開祖様から「気の力」を貰うことができるそうだ。

「気の力」で、元気になったり、宝くじも当たるようになるとも言っていた。仏教を標榜しながらも煩悩に囚われまくりなところが大変興味深い。

 

開祖の名前を教えてくれたので、後でググってみるとなかなか酷い内容が出てきた。それは後述したいと思う。

 

 

世間には、スピリチュアルや疑似科学が蔓延している。これらで救われる人もいるのは事実だが、それ以上に、いや、それとは比較にならないくらいに被害が大きい。

宗教に近い世界に身をおいているせいか、親しい人たちが騙されていくのを見てきた。バカ高い壺を買わされたり、怪しい技術の利権を買わされたり、分派に改宗させられて金を巻き上げられたり。同じ宗教内でも騙す側の人間がいるのだから腹立たしい。

 

そういうこともあって、この1年に疑似科学に関する対策書、いわゆる「啓蒙書」を数冊読んだ。しかし、どれも科学者の視点で書かれていて、騙される人の心情を汲んでいない自己満足的な内容であった。疑似科学やスピリチュアルを信じる人に、科学的視点から書いても心に響かないのは明らかである。

科学的視点よりも先に、「自分も騙され得る」という謙遜さを身につけることのほうが大切だ。科学的視点/知識は一朝一夕で身に付けることは出来ないが、「自分も騙され得る」という意識は少しの経験や心構え次第で身につけることができるし、その意識さえ持っていたら滅多に騙されることはないからである。

 

では、どうすれば、意識を変えることが出来るか。簡単である。一度、実際に騙されてみて、騙されたのを自覚することである。問題は、「勉強代」が高すぎるということだ。お壺に数百万円を払うのはリスクが大きすぎる。

でも、ご安心を。ここに1500円(古本なら計300円)程度で解決する方法がある(一気に怪しくなったがステマではない)。「ガダラの豚」を読め(or 読ませろ)。「徹夜小説」という陳腐な表現が許されるくらいストーリーが楽しい小説だ。何よりも、この小説を読めば、頭のなかだけで騙されることを経験出来る。

 

ガダラの豚 1 (集英社文庫)

ガダラの豚 1 (集英社文庫)

ガダラの豚 2 (集英社文庫)

ガダラの豚 2 (集英社文庫)

ガダラの豚 3 (集英社文庫)

ガダラの豚 3 (集英社文庫)

 

ファンタジーであるから、当たり前のように超能力的な力を持つ人物も出てくる。一方、トリックで超能力のように見せている人物も登場する。読み続けなければ、どちらなのかは分からない。告白するのは恥ずかしいけれど、私は、騙された。

また、この小説が良いのは、騙す側のトリックを解説しているところである。あまりに単純なトリックであるのに騙されてしまったのは悔しい。が、その分、それほど簡単に自分が騙されるのだということを自覚できる。「自分も騙され得る」という謙遜さを身につけることができるのだ。

もし、あなたが自分は騙されないという自信があるのなら、なおさら読んでみたらよい。騙されなければ、それはあなたが凄いことの証明になるし、騙されれば、それもそれで素晴らしい経験になるだろう。

 

冒頭で、友達と私を仏教系の宗教に勧誘してきた若い男について述べた。「気の力」を持つ開祖様についてググってみた内容はこういうものである。これ→http://bit.ly/12oosKq これも→http://bit.ly/12zpFNH

 

要約すれば、

・入会金が140万円

・脱税で告発されている

・計100億円以上、騙し取っている疑い

・手かざしハンドパワー療法の効果は認められない

ということだ。

 

明らかに詐欺的なものである。だが、勧誘してきた若い男は、自分は洗脳されていないし、開祖は本当に凄い方なのだと言っていた。ウソを付いているだけかもしれないが、心から信じきっているようにも見えた。

騙す側が、騙している自覚がないというのはよくあることだ。募金を名目に金を盗りながら、それを「神の知恵」だと本気で言う輩もいるくらいである。そこに良心の呵責は一切ない。少しの謙遜さを失うだけで、無垢な心が凶暴化する。

もしかしたら、話しかけてきた男も純粋な動機から「伝道」したかっただけなのかもしれない。謙遜さを忘れているだけで、本当はいい人だったかもしれない。そう思うといたたまれなくなる。

 

もし、あなたが騙されたくない、人を騙したくないのなら、「自分も騙され得る」という謙遜さを身につけよう。絶対に騙されない、というほどの強靭さを僕たちは備えていないけれど、その弱さを自覚することのできる知恵を持っているのだから。

 

自戒を込めて。

 

 

 

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※写真について:一見、4枚の合成写真に見えるが、実は合成ではない1枚の写真である。簡単に人は騙される実例。人間の目を欺くのはいともたやすい。

ネタバレ動画↓↓

統一球変更隠し問題についての責任の所在など、思うこと

日本野球機構や選手会の仕組みがよく分からないから、ハッキリと言えるとこだけ。箇条書き的に。

 

【ボールを統一した】

→球場ごとにボールが違うという不公平性をなくした。素晴らしい。

 

【低反発球を採用したために、極端な投高打低になった】

→これは、「やってみないとわからない」という部分が大きい。結果論だけで、責めるべきではない。「投高打低」になった結果を見て、ボールを調整する意思があったのなら、問題は少ない。、

また、反発係数をどのような根拠を持って、決定したか知りたい。

 

【統一球を公表せずに変更】

→変更することはよし。しかし、選手会側に寄り添うことなく一方的な変更したことには疑問がある。変更に正式な手続きを取ったのであろうか。

もし、日本野球機構側の一存のみで変更できるのであれば、その体制自体に問題がある。今後の改善を願う。

正式な手続きを踏んでいなかったならば、それは権力濫用であり、日本野球機構側が責任を取るべきである。

 

【反発係数の下限値を下回る違反球を使っていた】

→一番の問題。絶対に見逃してはならない。ルールを破ったのだから、それ相応の責任を取って貰いたい。特にトップの人間。>加藤良三氏

モスコーヒーを飲めば他のコーヒーが飲めなくなる

以前の日記で、若気の至りと筆の勢いで、モスバーガーのフランクフルトを全力でステマしてしまい、見事にモスバーガーの犬っぷりを晒してしまいました。こいつ→http://taroo.hateblo.jp/entry/20121022/1350856414

 

誠に宜しくないことなので、今後はさり気なくバレないようにステマ工作します、と、ご主人様にワンワンと誓ったわけでございます。

しかし、本日、モスバーガーのコーヒーがあまりにも美味しいということに気づいてしまって、全力投球でステマしないとやりきれない衝動に駆られています。

気持ちが強すぎて、自分を抑えることができません。

 

もうこうなったら、開き直って、モスバーガーの名犬「モス公」と呼ばれるように、破竹の勢いでモスコーヒーをステマしていきたいと思う次第です。ワンワン。

 

僕は知る人ぞ知る、「コーヒー好き」であります。

「コーヒーがなくて眠れない」という名言を残して、後世に語り継がれたいと思っているくらい、コーヒ好きです。

しかし、コーヒー好きでありながら「コーヒー通」ではありません。

 

どういうことかというと、僕はコーヒーならなんでも美味しいと感じでしまうのです。

 

モスフランクフルト3本分の大金をつぎ込まないと手に入らない、「スタバのキャラメルマキアート」。

そして、韓国で売っている100ウォンもしないコーヒー、「赤いスティックのアレ」。(こいつ→http://img.iacstatic.co.kr/feedback/A/2012/5/9/a859effdd5484d1bab81cfe4c869f7eb.jpg

 

この2つが同じように感じてしまうくらい、コーヒーに関しては舌が鈍感です。

 

スタバのコーヒーも韓国のスティックコーヒーも、「美味しいなあ」の一言で片付いてしまいます。

まさに味噌も糞も一緒とはこのことです。

 

そんな味噌も糞もスタバも韓国コーヒーも全部一緒という僕ですが、

モスバーガーのコーヒーは、飲んだ瞬間、「他のコーヒーとは違う!」と確信できるほど、素晴らしいものでした。

 

いや、もちろん、僕はモスバーガーのことを贔屓目に見てしまうくせがあるので、

そのせいで美味しく感じているのではないかと疑いましたよ。

 

もしかしたら自分は洗脳されているだけかもしれない。

ここは自分の表面上の感覚を疑い、本心をえぐり出そうじゃないかと。

 

懐疑主義者の原点に戻り、「我思う故に我あり」と3回唱和してから飲み直すくらい疑いましたが、

出た結論は、「我思う故にやっぱモスコーヒーって美味しいわ」です。

 

これはデカルト様も納得せざるを得ないでしょう。

 

いやマジで美味しいんですよ。

「二度見する」という言葉がありますが、モスコーヒーは飲んだ瞬間美味しくて、「え??」となり二度飲みしてしまいます。

 

朝マ○クとか調子に乗っている、某M社のコーヒーとは格が違います。

あんなのを飲むのは「Mの犬」と呼んで間違いない。

 

 

 

 

ああorz 時間がないので、もういいや。

 

モスバーガーの犬も、頭文字的に「Mの犬」じゃないかという、不都合な真実に気が付きましたが、ちょどよく時間が迫ってくれたので、気が付かないふりをして華麗に筆を置きたいと思います。

 

とにかく、モスコーヒーは美味しいです。

 

ありがとうございました。

最近読んで面白かった非小説数冊

文章を異様に書けなくなるときがあるけれど、今がそのときみたい。かなりむかついてきたから、ひと言紹介で終わらしてみる。

 

 

1,先生はえらい(内田樹):反権威的なひねくれた僕が、心から「先生はえらい」と思いたくなりました。 

2,貧困大国アメリカ(堤未果):僕は、この本を読んでアメリカに行けなくなったチキンです。 

3,新戦争論―“平和主義者”が戦争を起こす(小室直樹):平和主義者よ、これが戦争だ。 

4,がんの練習帳(中川恵一):過剰表現ではなく、これを読んで、僕ががんで死ぬ確率は半分以下に減ったでしょう。 

5,イチロー・インタヴューズ(石田雄太):イチローの言葉の使い方に嫉妬した。

 6,論理トレーニング101題(野矢茂樹):最近じゃなくて一年前に読んだ本だけれど、未だに頭に、いや、身体に染み付いています。

 

 

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

がんの練習帳 (新潮新書)

がんの練習帳 (新潮新書)

イチロー・インタヴューズ (文春新書)

イチロー・インタヴューズ (文春新書)

論理トレーニング101題

論理トレーニング101題

 

メリハリよりダラダラのほうがハッピーなれる

なんかもう寝付けない夜なので、連連と最近考えたことを。てか、0時前程度で寝付けない夜とか言ったら怒られそうだ。まいいや。

 

「メリハリをつけてほにゃらら」とか「集中してほにゃらら」とか糞だなあと最近思い始めたのです。

いや、僕もメリハリ信者で、よし!メリハリ付けて勉強しよう!とか仕事しよう!とか妄想を持っていたわけですが、妄想は妄想で、現実にはなりません。

現実はダラダラとやるべきことを後回しにして、いつの間にか追い込まれているというパターンばかりで、写真のようになっているわけです。

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で、気付いたのは「メリハリ」というのが、作業を始めるハードルを高くしているんですよ。

もうなんかちょっとでも集中できなかったり、なんか違うこと思いついたら、今はまだ集中できる環境じゃないから、ちょっと休んでメリハリを付けてからやろう!なんて思うわけです。

しかし、そんなこといっても今集中できないなら、後でも集中できないわけで結局同じ事なんです。

 

それなら、とにかくやり始めるハードルを低くして、今すぐにやったらいいじゃないのかと。

ハードル低くするのは、結構気持ちの問題で、「ダラダラでもいいからとにかく始めよう」でなんとかなるものです。

やり始めたら、大抵のことは15分くらいで軌道に乗るもので、それでもダメだったら本当にダメなときなので後回しにしちゃいましょうっていう感じ。

 

とにかく、ハードル低くすることです。「ダラダラ始めよう」くらいがちょうど良い。

 だから、「メリハリ的意識」を捨てて「ダラダラやり始める」に切り替えちゃったら、結果的にはメリハリな生活になっているなーと。

 

メリハリ信仰に疲れた人は、ダラダラ信仰に変えてみたらハッピーになるかもしれませんよ。

 

とゆことで、寝付けない夜とか言ってないで、ダラダラと寝始めようと思います。おやすみなさい。

 

ワンピースが古典になる/主観的って大事。/自分探しの勉強

友人との会話で。備忘録。

 

【ワンピースが古典になる】

本が発明された当時は、「本を読むとバカになる」と言われてたらしいよ。

でも、テレビやらネットやらゲームやら漫画とか新しいメディアができたら、読書は知的な活動として見られるようになったよね。 

将来、もっともっと新しいメディアができたら、漫画を読むことが知的な活動になるかもしれないねー。 

「お前、ワンピース読んでるのかよ、すげぇな」とか「ドラゴンボール難しすぎて、わけわからねぇ。テスト終わった。」てなふうになったりして。

 

【主観的って大事。】

人類生まれてから、500万年くらいらしいね。俺の人生100年だとしても、人類歴史の5万分の1だぜ。やべえよ。自分がちっぽけに思えてくるわ。

 イチローとか安倍総理とか孫正義とかでも、多分1000年後の歴史の教科書には載ってないだろうな。

 まじ、人生ってなんなんだよ。。。やべえやべえ、変な思考になってきた。

 客観的になりすぎたら、人生終わるね。てか、そんなふうに他人を見ていたら、人間関係終わるし(笑)。

人生も人間関係も主観的に見ることが大事だねー。

 

【主観的って大事。2】

(友人宅で韓国風プデチゲ&ラッポッキ的な鍋を食べながら)

 

やべえ、これうめえ。

 韓国料理ってずるいよなあ。テキトーにぶち込んで、テキトーに混ぜりゃうまくなるんだもん。

 本当うめぇ。

 記念に写真撮ろう。・・・。ダメだ。よく考えたら、見た目悪すぎorz

 韓国料理って食べてる当事者は大丈夫だけど、混ぜたらめっちゃ見た目悪くなるよね。傍から見たら食べられたもんじゃねーよ。

 他人のビビンバとかマジ食べたくないよね。客観的に見たら終わるね。

 やっぱ主観的って大事だわ。

 

【自分探しの勉強】

最近、「自分探しの旅」って評判悪いよねー。別に、そんなに悪いと思わないんだけど。 

多分、いつも放浪しているような人に限って、「自分探しの旅」が好きだからかなあ。放浪しているのに、また放浪するのかよ!みたいな。 

やっぱ新しいことしないと本当の意味で「自分探し」ってできないだろうし。

 だから、放浪しているような人は、新しく勉強とかに打ち込むべきかも。「自分探しの勉強」みたいな。 

逆に、「自分探しの旅」を見下している、勉強・仕事に真面目に取り組んでいる人ほど「自分探しの旅」をするべきなのかもね。

 皮肉だなあ。

「納屋を焼く」がトラウマ

「蛍・納屋を焼く・その他の短篇集」に収録されていた「納屋を焼く」がトラウマになっている。

読み返したいんだけれど、まだ読み返せない。だから、解釈もなにもできたもんじゃないけれど、載せておく。

「納屋」は比喩的なものか、それとも単純に納屋そのものを言ったのか。おそらく、作者はどちらも意図していないし、意図しているとも言えるだろう。つまり、読者のご想像にお任せしますと。

確かなことは、

「僕のすぐ近くにある納屋が焼けたが、僕はそれに気づいていない」ことと、「彼女は消え、彼女が唯一信頼していた僕でさえも、1年後には忘れかけている」ということだ。

 

「存在」というものは誰かが認識することで、初めて成り立つ。逆に言えば、認識されていないものは、どんなに近くにいても存在しないのと同義だ。

今この時も、自分のすぐそばにある「納屋」のことに気づいてないかもしれないし、自分自身が「納屋」になっているかもしれない。

 

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

最近読んで面白かった小説数冊

覚え書き的に。

 

家族八景/七瀬ふたたび/エディプスの恋人(筒井康隆

筒井康隆の七瀬三部作。主人公が人の心を読めるという、ありがちな中二病設定だが、登場人物たちが気持ち悪いくらいに欲深いので、中学二年生が読むにはまだ早い。最終作の「エディプスの恋人」では、読みながら鳥肌の立つ「神体験」をした。人生初の「神体験」。そのせいで、その日の夜は眠れず。睡眠不足になりたくなかったら、読むな。それでも「神体験」したかったら、読め。

 

封印再度森博嗣

以前に紹介したから省略。(こいつ→)同シリーズの他の作品も何冊か読んだけれども、やはりこれが一番完成度が高いと思う。

 

未来いそっぷ(星新一

今まで読んだ星新一の中で一番好き。イソップ物語を今風に、現実主義的に、書き直しているショートショートストーリー。斜めに構えた世界だけれども、楽天的な雰囲気があるから精神衛生上にも悪くない。1話読むごとにニヤけてしまう。

 

ガダラの豚上・中・下(中島らも

いわゆる徹夜小説。ストーリーがテンポよく進み、後ろが気になってしょうがない。3冊一気に購入しないと、不幸になる。そして、実用性も高い。誰でも悪質なエセ科学、新興宗教に騙され得るということを実感できる。実際に、読みながら僕も半分騙された。擬似世界で、「騙された」という経験をできるのは大きい。

 

回転木馬のデッド・ヒート/蛍・納屋を焼く・その他の短篇集(村上春樹

どちらも短篇集。村上春樹の作品で初めて、価値観が揺れた。「読みたい」ではなく、「読まなければいけない」必読書的2冊。見たくはないけど、目を逸らしてはならない現実が詰まっている。正直に言うと、今はまだ読みたくなかった。後回しにしたかった。だいぶ先のことになるだろうけど、必ず再読することになると思う。

 

 

家族八景 (新潮文庫)

家族八景 (新潮文庫)

七瀬ふたたび (新潮文庫)

七瀬ふたたび (新潮文庫)

エディプスの恋人 (新潮文庫)

エディプスの恋人 (新潮文庫)

未来いそっぷ (新潮文庫)

未来いそっぷ (新潮文庫)

ガダラの豚 1 (集英社文庫)

ガダラの豚 1 (集英社文庫)

回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

天才が超天才になれなくても、凡人が超天才になれる方法―「海馬(池谷裕二)」から。

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池谷裕二著「海馬」によると、鍛えることによって、脳の能力はべき乗に増えていくらしい。以下のとおり。(写真も参考)

脳レベル0  能力:2^0 =1
脳レベル1  能力:2^1 =2 (←凡人)
脳レベル2  能力:2^2 =4
脳レベル3  能力:2^3 =8
脳レベル4  能力:2^4 =16
脳レベル5  能力:2^5 =32 (←天才)
脳レベル6  能力:2^6 =64
脳レベル7  能力:2^7 =128
脳レベル8  能力:2^8 =256
脳レベル9  能力:2^9 =512(←超天才)

 

凡人と天才の脳レベルの差:5-1=4 能力値の差:32-2=30

天才と超天才の脳レベルの差:9-5=4 能力値の差:512-32=480

 

同じレベル4の差でも、能力値は「凡人と天才の差」より、「天才と超天才の差」のほうが遥かに大きい。

凡人がコツコツ努力して、脳レベルを5まで上げて、天才になったとする。そのとき、超天才との差を見て絶望するかもしれない。たくさん努力して能力値を32まで上げたのに、まだまだ400以上の差がある。大抵の人はここで挫折するのだろう。

しかし、本当は何てことはない。同じ努力を繰り返して、レベルを9まで上げれば、その400以上もあった差を埋めることができるのだ。脳は爆発的に成長する。

だから、あなたは努力をやめてはいけない。継続は力なり。

 

ただ、これだけじゃあまりにも抽象的で実感が沸かないだろう。だから、具体例を出す。

これは明らかに自慢だが、僕は「本回し」において、超天才である。

そう、本回し。韓国人が、よくドヤ顔でやっている、指の上で本を回すやつ。(筆者は韓国で中高生時代を過ごした)これね→http://youtu.be/BCwarXa5zkA 僕は、さらにもっとドヤ顔をしながら、両手で回すことができる。両手でできるのは自分以外で見たことがない。

やはり明らかに自慢であるが、明らかに超天才であることは認めざるを得ないだろう。

それが何の役に立つのか、というご指摘は受け付けない。僕のアンデンティティーが崩壊してしまう。

 

本論。

 ここで、「凡人→本回しできない人,天才→本回しできる人(片手),超天才→両手で本回しできる人」と上の表を置き換えてみよう。

脳レベル0  能力:2^0 =1
脳レベル1  能力:2^1 =2 (←本回しできない人=凡人)
脳レベル2  能力:2^2 =4
脳レベル3  能力:2^3 =8
脳レベル4  能力:2^4 =16
脳レベル5  能力:2^5 =32 (←本回しできる人=天才)
脳レベル6  能力:2^6 =64
脳レベル7  能力:2^7 =128
脳レベル8  能力:2^8 =256
脳レベル9  能力:2^9 =512(←両手で本回しできる人=超天才)

となる。

 最初から本回しができる人は、そういない。僕もそうだった。だが、努力すれば大抵はできるようになる。実際に、韓国には日々の努力を怠らずに、本回しをできるようになった者が数多くいた。

努力すれば人間は天才になれるのだ。

しかし、ここから超天才になれるのは絶望せずに、自分の可能性を信じて、努力し続けた者のみだ。

 

本回しができる人にはわかるだろうが、利き手と反対の手で本を回すのは凄く難しい。(←そもそも本を回せる人がマイナーすぎて、共感を得れないということに今さら気付いたけど、そんなこと知らん。もう後戻りはできない。続ける。)

多分、不可能だと感じることだろう。ましてや両手で回すとか人間技じゃないと思えてくるはず。

そう、超天才との差に絶望を感じて、努力を諦めてしまうのだ。

しかししかし、内緒だけど、本当はちょっと練習すれば利き手と反対の手でも回せるようになる。最初が難しいだけで、コツを掴めばできるものである。

脳が片手で本を回すことを覚えているおかげで、応用が効くのだ。脳は覚えた経験をネットワークに、能力を拡げていく。

 

つまり、上の表のとおり、天才と超天才との能力の差は絶望的に感じるくらい、大きのだが、レベルの差(努力の差)は、あまり大きくないというわけである。

とても希望にあふれた論理ではないだろうか。僕も書きながら、いろんなことを頑張りたくなってきた。明日から本気出す。

 

結論。

 「脳の能力はべき乗に増えていく」

 このことを覚えておけば、人と自分を比べるのがいかに愚かなことかが分かるし、努力をし続けることの大切さを忘れないでいれるであろう。

努力し続ければ、あなたも超天才になれる。自分の可能性を信じよう。両手で本を回せる日は、きっと来る。

 

海馬―脳は疲れない (新潮文庫)

海馬―脳は疲れない (新潮文庫)

 

封印再度(WHO INSIDE) 森博嗣―ずるすぎるミステリィ小説

以前に書評した「つながる読書術(→http://taroo.hateblo.jp/entry/20121121/1353489862)」に

 

本を読みなれない人にも、おすすめしたい。ミステリーとしての仕掛けが完璧なのは勿論のこと、登場人物や感情のひだが細やかに書きだされ、映像化して読める。

 

と紹介されていて、気になったので読了。

 

 

いろいろと、ずるい作品。

 

まず、作者がずるい。森博嗣

工学部助教授という、バリバリ理系な肩書きを持っていながら、小説まで書いているとかね、もう。天は二物を与えないんじゃねーのかよ。

 

それも、良い意味で理系らしくないから、本当にずるい。

 

心理描写はうまいし、キャラはやたらと人間味があって魅力的だし、芸術に関しても造詣が深いみたいだし。なんかラブストーリー入っているし。

お前、本当は文系だろ?と思ったら、

最後にトリックを解明するときには、理系の面目躍如で、科学的で実に恐ろしく綺麗にすべてが繋がってしまうっていうね。

 

てか、綺麗すぎて、トリックの情景が頭にこびりついてしまったくらい。

子供の頃、コナンとか金田一少年とかアニメで見まくったけど、トリックは何ひとつも覚えてないぞ。それが健全でしょ。

でも、こいつはあと10年は頭から抜けそうにない。

出来の良い知恵の輪が解けたら、それが忘れられないのと似た感じ。描写も上手いから、なおさら。ずるいわ。

 

しかも、タイトルまでもがずるい。

封印再度」で、英訳が「WHO INSIDE」。なにこれ?

作者のドヤ顔が、目に浮かび、腹が立つ。

 

そんでもって、これシリーズ物らしくて、全10巻あるらしい。おいおい。ヨマズニイラレルカ。

やめてほしいくらい時間盗られるわ。睡眠不足になったら訴えてやる。

 

あーずるいずるい。ずるすぎる。

 

封印再度 (講談社文庫)

封印再度 (講談社文庫)